礼拝説教要約

2018年10月礼拝説教要約

玉川キリスト教会聖日礼拝説教(抄録)(2018年10月14日)
聖書箇所:民数記1章
説教題:主が命じられたとおりに

今日から民数記に入ります。「民数記」というタイトルは、BC3世紀に翻訳されたギリシャ語訳聖書(一般に70人訳と呼ばれる)に由来するものです。ギリシャ語では「アリスモイ」と書名が付けられており、それは「数字」を意味します。なぜ、「数字」、と書名が付されたのかと言えば、民数記の前半と後半で、二回人口調査の記録が載せられているためなのです。
しかし、もともとのヘブル語の表題は、「ベ・ミドバル」、つまり「荒野にて」を意味するのですが、それはなぜか。出エジプト記の最後の章には、「第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた」(40:17)とあります。また民数記の冒頭には、「人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた」とあり、民数記と出エジプト記の間の空白期間はわずか一ヶ月です。その間にレビ記が書かれたのであり、そして民数記本体は、出エジプト後の二年目の第二月(1:1)から第四十年の第十一月(申命1:3)までの記録で、別名「40年の書」と言われるように、イスラエルが荒野を彷徨った40年間の出来事を記録しています。だから「荒野にて」とヘブル語では表題が付されたのでしょう。
1.民数記の構成
さて、民数記は、40年間の記録ですから、その中に二つの世代が出てきます。一つはエジプトから脱出し、荒野で滅びてしまった世代、もう一つは、荒野で生まれ成長し、約束の地カナンに入っていった新しい世代です。ですから民数記は大きく三つに分かれ、1-14章では古い世代の物語が、21-36章では新しい世代の物語が、そしてその間の15-20章に、荒野での放浪の時代、いわゆる過渡期の時代が記録されています。
2.人口調査の意味=戦力を知る
さて、最初の章において、イスラエルの軍事力を調査する目的として人口調査がなされています。実際の人口は女子ども併せて200万人以上であったとされますが、戦力となる登録人数は、約60万人でした。創世記は、神の民に目指すべき目的地があることを教え(ビジョン)、出エジプト記はそのために何をなさなければならないか、つまり神の恵みに寄り頼んで古い生活から脱出し、新しい歩みに踏み出すことを教え(ミッション)、レビ記は、いかにして神の民として新しい歩みを続けうるか、神の民が持つべき価値を教えています(バリュー)。民数記は、ビジョン、ミッション、バリューを踏まえて、戦いあるのみ、戦士として前に進む神の民を描いています。神の民は約束の地を戦い勝ち取る者たちとして描かれており、その最初に戦力が調査されたのです。民数記はまさに神の民として生きようとする者たちの悲喜交々の出来事を描くのです。
3.霊的な戦いがある
しかしこれは、イエス・キリストに対する信仰によって神の民とされた私たちにとっても大きな教訓であり、戒めです。私たちも、神の兵士であることに変わりはないからです。パウロは語りかけています。「キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください」(2テモテ2:3)。そして、こうも語ります。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、斯の暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです」(エペソ6:12)。明らかでしょう。私たちは、霊的な戦いを戦い抜く者と見なされているのです。
もちろん、現代の日本には、かつてのように、信仰を持つことで拷問されたり、石を投げられたり、財産を没収されたりするような直接的な迫害はないことでしょう。しかし、社会の目を気にしながら、クリスチャンとしてどうどうと生きることができない者は少なくありません。クリスチャンであることを恥じてすらいることがあります。また一方で、この世と調子を合わせ、クリスチャンとは名ばかりになってしまっている現実もあったりします。
しかし、私たちは、はっきり神を信じる自分自身がなんであるかを認識しなくてはならないでしょう。そしてそれぞれに、信仰の戦いがあることをわからなくてはなりません。いや既に信仰の戦いに入りつつあるのに、そのことがわからないでいるようではいけません。クリスチャンになったのに、なんでこうも不幸続きなのか、神様に従って来たのに、何にもよいことがない、ますます苦しくなる、ますます追いつめられる、神様なんてやっぱりいないのだ、ではありません。そこがまさに、あなたの信仰の戦いなのです。戦って勝利しなくてはいけないポイントなのです。パウロは、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」(使徒14:22)と語っています。ヘブルの著者は、「あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません」と語りました。信仰には、それぞれの戦いがあるのだ、と心得ましょう。それがあっての信仰の成熟です。
結語
神を認め、神に生きる人生にある者にとって、お金の使い方にしろ、時間の使い方にしろ、あらゆる面で世の人々とは異なるものがあることでしょう。しかしそれはあなただけの戦いではありません。実は、同じ信仰を持つ、神の家族の戦いでもあるのです。かつてイスラエルの民が人口調査をしたのは、これからの戦いに一致団結し、神のあわれみと支えによって勝利するためでした。私たちも互いに祈り合い、互いにみ言葉をもって励まし合い、互いに主の恵みの証を分かち合い、真の信仰者の交わりを深めたいものです(玉川キリスト教会牧師福井誠)。

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