クリスチャンになる第一歩に洗礼(バプテスマ)があります。…洗礼?何か儀式をするのかな?「心で信じているなら、それだけで十分じゃない?」と思う方もいるかもしれませんね。でも、洗礼には大切な意味があるんです。
たとえば、スポーツチームに入るとき。すでに心の中では「このチームが好き!」と思っていても、正式にユニフォームを着ると、「自分は本当にこのチームの一員だ」と実感できますよね。洗礼は、まさにそれと同じ。心の中だけで信じるのではなく、行動によって「私はクリスチャンです」と宣言することなのです。
聖書が教える洗礼の意味
実は、聖書には洗礼についてこう書かれています。ローマ書6章には、「キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです」(3-5節)とあります。ちょっと難しいでしょうか。では、イメージしてみてください。
たとえば、引っ越しをするとします。新しい町で暮らし始めたら、古い町での生活を終えて、新しい環境に身を置くことになりますよね。洗礼もそれと同じ。昔の罪や迷いから離れて、新しい人生へスタートを切ることなんです。
なぜ公に信仰を告白するの?
「でも、周りの人に信仰を宣言するのって、ちょっと恥ずかしくない?」と思う方もいるでしょう。確かに、知らない人の前で何かを表明するのは緊張します。でも、考えてみてください。
たとえば、卒業式。友達と一緒に学んできた証として、ステージに立って卒業証書を受け取る。これって、自分が学びを終えたことを公に示す瞬間ですよね。洗礼も同じで、「私は神の家族の一員になりました」と宣言することが、信仰の新しい始まりになるのです。
恥ずかしいと感じるかもしれませんが、実際に洗礼を受けた人たちは、「心がすっきりした」「神にしっかり向き合えた」と言っています。だからこそ、一歩踏み出すことが大切なのです。
迷っているあなたへ
洗礼は義務ではありません。でも、神があなたを愛し、招いてくださる恵みです。
「まだ準備ができていない」
「信仰は心の中だけでいいのでは?」
「周囲にどう思われるか気になる」
そう思っている方がいたら、一度ゆっくり考えてみてください。洗礼は「完璧になってから受けるもの」ではなく、神との関係をさらに深めるための第一歩です。教会の牧師や信仰の仲間と話して、その気持ちも語ってみてください。そこからスタートすればよいのです。そして、あなたが踏み出す一歩は、神が温かく迎えてくださいます。