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第13回 「カエサルのものはカエサルに」

消費税を聖書的に考える①:イエスは税金に賛成だったの?

「イエスなら税金に反対したのでは?」。そんな疑問を持つ人がいるかもしれません。本当にそうでしょうか。今回は、福音書に記されたイエスと税金の場面から考えてみます。

イエスが生きた時代、ユダヤの人々はローマ帝国の支配下にありました。人々はローマへ税を納めなければなりません。税は単なる家計の問題ではなく、「外国の支配を認めるのか」という政治と信仰の問題でもありました。

ある人たちがイエスに尋ねます。「皇帝に税金を納めることは正しいでしょうか」。これは答えにくい質問でした。「納めなさい」と言えば、ローマに反発する民衆を失望させます。「納めるな」と言えば、反乱を勧めたと受け取られる危険があります。

イエスは税に使う硬貨を見せるよう求め、「これは誰の肖像と銘か」と尋ねます。人々が「カエサルのです」と答えると、イエスは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と語りました。

この言葉は、税金なら何でも正しいという意味ではありません。また、政治は信仰と無関係だという意味でもないでしょう。大切なのは、国家には一定の役割と権限がある一方で、国家は神ではなく、絶対でもないということです。

道路、治安、裁判、福祉など、共同生活を保つために政府が果たす役割があります。その費用を負担すること自体を、イエスは単純には否定しませんでした。しかし、人間の良心や究極の忠誠まで国家に差し出せとは言っていません。

現代の税制を考えるときも、「政府がすべて解決する」でも「政府は何もしなくてよい」でもありません。政府の役割を認めながら、その権力とお金の使い方を市民が確かめる必要があります。

では、集めたお金は何のために使われるべきなのでしょうか。次回は、聖書が何度も語る「貧しい人、弱い立場の人へのまなざし」を見ていきます。そこに、税と社会保障を考える重要なヒントがあります。

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