2026年の夏も厳しい暑さが続いています。ニュースでは猛暑や熱中症が連日報道され、外で活動することに危険を感じる日も少なくありません。部活動が短縮されたり、体育の授業が中止になったりした学校もあるでしょう。中学生や高校生にとっても、「暑い」という一言では済まされない夏になっています。2026年は全国的に高温が予想され、一部地域では40℃以上の気温への警戒も呼びかけられています。
「異常な暑さ」が毎年続いている
こうしたニュースを見ると、「今年は異常だな」と思います。しかし、同じような言葉をここ数年ずっと聞いている気もします。
10年前には特別だった記録的な暑さが、今では毎年のようにニュースになります。「異常」が何年も続くなら、それは本当に異常と言えるのでしょうか。
近年、多くの研究者が気候変動によって極端な高温や豪雨が起きやすくなっていると指摘しています。もちろん今日の暑さをすべて温暖化だけで説明することはできません。しかし世界各地で記録的な高温が繰り返されていることは確かです。
暑いだけでは終わらない
猛暑の問題は、単に「暑くて大変」というだけではありません。熱中症で体調を崩す人が増えます。農作物への影響によって食料価格が上がることもあります。冷房の使用が増えれば電気代も高くなります。屋外で働く人たちにとっては、命や健康に関わる問題になります。
つまり猛暑は、自然の問題というより、私たちの暮らしそのものの問題でもあるのです。
聖書は何と言っているのだろう
私はこうしたニュースを見ながら、聖書に出てくるある言葉を思い出しました。創世記には、人間は地を「耕し、守る」ように託されたと書かれています。この言葉を読むと、人間は自然を利用するだけの存在ではないのだと思わされます。私たちは毎日、水を飲み、食べ物を食べ、自然の恵みに支えられて生きています。しかし、その恵みを受けることには慣れていても、それを守る責任についてはあまり考えないことがあります。
環境問題は「自然を守ろう」というスローガンではなく、「与えられた世界とどう向き合うか」という問いなのかもしれません。
誰が悪いのかではなく
環境問題について話すとき、誰が悪いのかという議論になることがあります。企業が悪い。国が悪い。消費者が悪い。もちろん、それぞれに果たすべき責任はあります。しかし責任を押し付け合うだけでは何も変わりません。それよりも、「自分にできることは何だろう」と考える方が大切なのではないでしょうか。
大きなことはできなくても、無駄を減らすことはできます。環境問題について知ろうとすることもできます。関心を持つこともできます。小さな一歩であっても、ゼロよりは確実に前進です。
ニュースの向こう側を考える
今年の夏の暑さは、単なる季節の話題ではありません。それは、人間と自然の関係について考える機会なのかもしれません。ニュースは気温を伝えてくれます。しかし、その出来事が私たちに何を問いかけているのかまでは教えてくれません。だからこそ、「なぜだろう」と考えることが大切です。
探究学習とは、正解を探す勉強ではなく、良い問いを見つける学びです。今年の猛暑は、私たちにこんな問いを投げかけているように思います。「人間は、この地球とどのように生きていくべきなのだろうか。」
では、また次回。パスターまこと
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