消費税を聖書的に考える②:見落とされやすい人を忘れない
聖書を読むと、何度も登場する人々がいます。貧しい人、孤児、やもめ、寄留者です。当時の社会で、財産や家族の支えを得にくく、声を上げても聞かれにくかった人々です。
なぜ聖書は、こうした人々を繰り返し取り上げるのでしょう。貧しいこと自体が良いと言っているわけでも、お金を持つ人をすべて悪いと決めつけているわけでもありません。問題にしているのは、力の弱い人が見捨てられ、不正な扱いを受けることです。
旧約聖書には、畑の収穫を端まで刈り取らず、落ちた穂を拾い尽くさないよう命じる箇所があります。残された作物を、貧しい人や寄留者が集められるようにするためです。
これは現代の社会保障制度そのものではありません。けれども、自分の所有物をすべて自分だけのために使うのではなく、共同体の中で生きる人のために余地を残す、という原則が見えます。
現代社会にも、病気になった人、介護を必要とする人、仕事を失った人、困難な家庭環境にいる子どもなど、助けを必要とする人がいます。誰もが、いつか支える側から支えられる側へ移る可能性があります。
消費税には逆進性があると指摘されます。同じ税率でも、所得の少ない人には負担が重くなりやすいからです。聖書的な視点に立つなら、「税率はいくつか」だけでなく、「弱い立場の人に過度な負担がかかっていないか」「必要な支援が届いているか」を問うことになります。
ただし、支援を国だけに任せればよいとは限りません。聖書では、家族、地域、信仰共同体、そして一人ひとりにも責任が求められます。制度による支援と、顔の見える助け合いは、どちらも必要です。
数字を議論するとき、その向こう側にいる人を忘れない。これが聖書から学べる大切な姿勢ではないでしょうか。
では、お金を持つことは悪いのでしょうか。次回は、聖書が語る「富」と「分かち合い」、そして「隣人になる」という問いを考えます。


